認知症の親がいる場合の遺産分割
—成年後見・特別代理人・利益相反の実務
- 認知症で意思能力を欠く相続人が参加した遺産分割協議は無効になりうる
- 選択肢は3つ——①成年後見人の選任、②任意後見契約の発効、③分割を先送り
- 成年後見人とあなたが共に共同相続人の場合は「利益相反」となり、特別代理人の選任が必要(民法860条が準用する民法826条)
- 利益相反の判断は「外形的客観的」になされる——動機ではなく行為類型で判定(最判昭和42年4月18日 判時483号34頁)。なお最判昭和53年2月24日は相続放棄場面の判示だが、利益相反の趣旨は遺産分割場面にも妥当すると解されている
- 成年後見は本人が亡くなるまで続く——遺産分割が終わっても外せない長期コスト
認知症の親が相続人にいる——なぜ問題になるのか
遺産分割協議は、共同相続人全員による合意で成り立つ法律行為です。合意の前提として、各相続人に意思能力——財産上の有利不利を判断する能力——が必要です。片岡武・管野眞一『第4版 家庭裁判所における遺産分割・遺留分の実務』(日本加除出版、2021年)p.39 は、「相続人の中に意思能力や行為能力(財産上の有利不利を判断する能力)に問題がある当事者がいるときには,後見開始の申立てが必要となる」と整理しています。
つまり、認知症が進み意思能力を欠く状態の親が共同相続人にいる場合、その親を遺産分割協議の当事者とするには、原則として法定代理人(成年後見人)または任意後見人を介する必要があります。「とりあえず子が代筆して」「とりあえず母の実印を借りて」といった処理をしてしまうと、後日協議の無効を主張されたときに登記・預金解約をすべてやり直すことになりかねません。
なお、本記事は「相続人として遺産分割に参加する側」が認知症になっている場面の話です。「遺言を残す側」が認知症の場合の遺言の有効性については、別記事「認知症でも遺言は有効か——遺言能力をめぐる攻防と実務対応」で詳しく解説しています。
意思能力を欠く協議は無効——「とりあえず代筆」がなぜ危険か
意思能力を欠く者が当事者となった遺産分割協議は、判例・通説上、無効と解されています。協議書に親の署名押印があり、外形的には合意が成立しているように見えても、作成時点で意思能力がなければ、後日他の相続人・債権者・あるいは将来の二次相続の当事者から無効主張がなされる可能性があります。
無効主張が認められれば、遺産分割協議書に基づいて行った不動産登記の抹消、預貯金の払戻し金の返還、税務上の修正申告等、原状回復に膨大な労力とコストがかかります。家族内で平和に進めたつもりが、何年も経ってから紛争化して相続人同士の関係を悪化させるケースも珍しくありません。
意思能力の有無は、診断名(アルツハイマー型・血管性等)だけでなく、症状の重症度・取引内容の難易度・本人の自己決定能力の総合評価で決まります。「うちの母は普段は受け答えできるから大丈夫」と思っても、遺産分割という複雑な取引について理解する能力があるかどうかは別問題です。判断に迷ったら、行動する前に弁護士・主治医に相談してください。
3つの選択肢——成年後見・任意後見・先送り
認知症の親が相続人にいる場合、取りうる選択肢は大きく3つです。なお、認知症の進行度合いによっては、判断能力を全部失っているわけではない方を対象とした「保佐(被保佐人)」や「補助(被補助人)」が選択される場面もあります(民法11条・15条)。本記事では認知症が中等度以上に進み、意思能力を欠く相続人が共同相続人にいる場面を中心に解説します。保佐・補助の判定や手続きは弁護士・主治医にご相談ください。
① 成年後見人を選任する(最も多いパターン)
意思能力を欠く相続人がいる場合に最もよく選ばれるのは、家庭裁判所への後見開始の申立てです。後見開始の審判が下りると、成年後見人が選任され、法定代理人として被後見人を代理して遺産分割協議・調停・審判に参加します(民法859条1項)。永石一郎ほか『〔改訂版〕ケース別 遺産分割協議書作成マニュアル』(新日本法規出版、2020年)p.107-108 では、成年後見人は被後見人の財産管理について包括的な代理権を有するが、利益相反(民法826条・860条)や居住用不動産の処分(民法859条の3)など、法律上制限される場合があると整理されています。
申立てに必要な書類・期間・費用の概要は次のとおりです。
本人の住所地を管轄する家庭裁判所。
申立書、本人の戸籍謄本・住民票、診断書(家庭裁判所所定の様式)、財産目録、収支予定表、後見人候補者の住民票等。
申立てから審判確定まで、事案により数か月程度。鑑定が必要となるケースではさらに延びる傾向にあります。具体的な期間は申立先の家庭裁判所・事案の複雑性により異なります。
申立手数料・登記費用・郵券で数千円〜1万円台。鑑定が必要な場合は鑑定費用(10万円前後とされることが多い)が追加。専門職後見人(弁護士・司法書士)が選任された場合、後見人報酬は家庭裁判所が決定し、本人の財産から支払います。具体的な月額は本人の財産規模・後見事務の内容によって決まります(参考:東京家庭裁判所等が公表している「成年後見人等の報酬額のめやす」)。
② 任意後見契約がある場合(事前対策が活きるパターン)
親が判断能力のある段階で公正証書による任意後見契約を締結していた場合、家庭裁判所に任意後見監督人の選任を申し立てることで契約が発効し、任意後見人が代理権を行使できます。
ただし注意点があります。片岡武・管野眞一(2021年)p.39 は、「代理権目録に『(1) 遺産分割又は単独相続に関する諸手続』並びに『(2) 遺産分割(協議,調停及び審判)及びこれに関連する一切の手続(和解・調停合意を含む。)』旨の記載がない場合には,任意後見監督人には代理権がないので遺産分割手続を進めることはできない」と整理しています。
つまり、任意後見契約の代理権目録に遺産分割関連の記載がない場合、任意後見人は遺産分割を進められず、別途成年後見人の選任が必要になります。任意後見契約を作成する際には、将来の相続を見越して代理権目録を厚めに設計しておくのが実務の常識です。
③ 遺産分割を先送りする選択
後見人を立てず、相続財産を共有のまま据え置く選択肢もあります。遺産分割協議に期限はないので、法律上、何年でも先送りすること自体は可能です。
もっとも、預金は引き出せない・不動産は処分も担保設定もできない・収益物件の賃料は法定相続分での共有収入扱い等、生活上・税務上の不利益が積み重なります。さらに、認知症の親が亡くなって二次相続が発生すると、本来の一次相続の遺産分割と、二次相続の遺産分割の双方が絡む複雑な事案になります。当面の処分予定がない場合の選択肢ではありますが、長期的にはコストが膨らみがちです。
利益相反問題——後見人や親権者が「もう一人の相続人」を兼ねるとき
認知症の親の遺産分割で最も注意すべき論点が、利益相反です。被相続人の遺産を、誰がどう分けるかは、相続人ごとの取得分が連動する「ゼロサム」の構造を持ちます。一方の取得が他方の取得を制約する以上、後見人や親権者が自分も同じ被相続人の共同相続人である場合、被後見人・未成年者を代理して遺産分割協議を行うことは利益相反となります。
親権者と未成年者の利益相反(民法826条)
片岡武・管野眞一(2021年)p.43 は、「共同相続人中に未成年者がいる場合には,その法定代理人たる親権者が,未成年者に代わって遺産分割協議を行うことになる(民824条)。(ア)親権者と未成年者とが共に共同相続人であり,親権者が未成年者の代理人としても遺産分割協議を行う場合には,親権者と子において利益が相反するので,特別代理人の選任を要する(民826条1項)。遺産分割は,一方の当事者の遺産取得が,他の当事者の利益を左右する関係にあるから,利益相反行為となる」と整理しています。
父が亡くなり、母(親権者)と未成年の子が共同相続人となった典型ケースでは、母自身が遺産分割の利害関係人であるため、未成年の子の代理として母が遺産分割協議を行うことは利益相反となります。家庭裁判所に特別代理人選任を申し立て、特別代理人が未成年の子を代理して協議に参加します。永石一郎ほか(2020年)p.104 では、複数の未成年の子を親権者が代理する場合、それぞれの子について特別代理人を選任しなければならない場面の解説もあります(民法826条2項)。
成年後見人と被後見人の利益相反(民法860条・826条準用)
成年後見人と被後見人の関係についても、民法860条が民法826条を準用しており、利益相反となる行為については特別代理人の選任が必要です(後見監督人が選任されている場合は後見監督人が被後見人を代理し、特別代理人選任は不要)。
典型ケースは、認知症の母を成年後見人として代理しているあなた自身が、同じ被相続人(父)の共同相続人である場合です。あなたが成年後見人として母を代理しつつ、自分自身も相続人として遺産分割に参加することは、母とあなたの利益が連動する以上、外形的客観的に利益相反となります。この場合、家庭裁判所に特別代理人選任を申し立て、特別代理人が母を代理して協議に参加することになります(ただし、後見監督人が選任されている場合は、後見監督人が被後見人を代理するため特別代理人選任は不要です)。
最判昭和53年2月24日が示した実務基準
坂本龍治『ケース別 相続放棄の実務ポイント―目的に応じた検討と放棄前・放棄後の対応―』(新日本法規出版、2026年)p.190-191 は、未成年者の相続放棄の場面で、「親権者が自らの相続を未成年者の相続放棄以前(同時を含みます。)に放棄していない限り、利益相反行為となります(最判昭53・2・24民集32・1・98参照。同判例は成年後見人と成年被後見人についてのものですが、この判決が示す趣旨は、親権者の場合にもそのまま妥当するものと解されています。)」と整理しています。
同判例は本来、成年後見人と成年被後見人の利益相反について判断したもので、その射程が親権者と未成年者の関係にも妥当するという考え方が実務に定着しています。なお、最判昭53.2.24 は判旨そのものは相続放棄の場面に関するものですが、利益相反の判定構造(外形的客観的に判断する)は相続放棄に限らず遺産分割協議にも妥当すると解されており、遺産分割の場面でも、後見人・親権者と被後見人・未成年者の双方が共同相続人である場面では、特別代理人選任を経ることが原則となります。
利益相反の判断は「外形的客観的」になされる
利益相反かどうかは、行為の動機・意図ではなく、行為自体を外形的客観的に観察して判定する——これが判例の確立した立場です。永石一郎ほか(2020年)p.23 は、「利益相反行為に該当するかどうかは、親権者が子を代理してなした行為自体を外形的客観的に考察して判定すべきであって、親権者の動機・意図をもって判定すべきでないとされています(最判昭42・4・18判時483・34)」と整理しています。
つまり「自分は母に有利なように協議するつもりだった」「自分の取得分を減らして母にあげるつもりだった」といった主観的動機があっても、行為類型として利益相反であれば、特別代理人を介さない協議は無効となります。利益相反かどうかの判断に迷う場面では、必ず弁護士に相談してください。
特別代理人の選任手続き
特別代理人は、家庭裁判所への申立てによって選任されます。申立人は、親権者または利害関係人。申立て先は、未成年者(または被後見人)の住所地を管轄する家庭裁判所。申立書には、特別代理人候補者と、行わせる遺産分割協議の内容(協議書案)を添付するのが通常です。
特別代理人として誰を立てるかは家庭裁判所が判断します。利害関係のない親族(叔父・叔母など)が候補になることもあれば、弁護士・司法書士などの専門職が選任されることもあります。協議内容が複雑な場合や、相続財産の規模が大きい場合は、専門職特別代理人の選任になりやすい傾向です。
後見人選任後の落とし穴——「後見はずっと続く」問題
遺産分割のためだけに成年後見人を選任した場合に、選任後しばらく経ってから「後見はもう必要ないのですが、外せませんか」という相談が寄せられることがあります。残念ながら、原則として外せません。
法定後見(成年後見)は、本人の判断能力が回復しない限り、原則として本人が亡くなるまで続きます。「遺産分割が終わったから」「目的を達したから」という理由では取消しは認められないのが実務です。専門職後見人が選任された場合、本人の財産から月々の後見人報酬(家庭裁判所が本人の財産規模・後見事務の内容に応じて決定)が長期にわたって発生し続けることになります。
また、成年後見人がついた後は、本人の財産管理について家庭裁判所への報告義務が継続的に発生します。本人の財産の使い方も「本人の利益のため」という枠の中での運用に限定され、家族の意向で柔軟に動かすことができなくなります。「家族信託を併用すればよかった」「任意後見契約を事前に締結しておけば自由度が高かった」と後悔されるケースもあります。
「遺産分割のためだけに成年後見を申し立てる」前に、次の点を必ず検討してください——①親に意思能力がまだ残っているなら任意後見契約・家族信託で代替できないか、②遺産分割を先送りして本人の生涯にわたる後見費用を回避する選択肢はないか、③申し立てるとしても後見人候補者を誰にするか(親族/専門職/報酬負担)。判断に迷ったら弁護士にご相談ください。
成年後見人がついた後、遺産分割で何ができないか
成年後見人がついたら何でもできるわけではありません。永石一郎ほか(2020年)p.107-108 が整理しているとおり、成年後見人の代理権には法律上の制限があります。
- 居住用不動産の処分には家庭裁判所の許可が必要(民法859条の3):被後見人の居住用不動産を売却・賃貸・抵当権設定・解約する場合、家庭裁判所の許可が必要。遺産分割で居住用不動産を他の相続人に取得させる代わりに代償金を得るような場面では、許可申立てを忘れてはいけません。
- 本人の意思尊重義務(民法858条):成年後見人は事務を遂行するに当たり、被後見人の意思を尊重し、その心身の状態及び生活の状況に配慮する義務があります。「家族にとって都合のよい遺産分割」を後見人が選ぶことは許されません。
- 本人の取り分を不当に減らす遺産分割は許されない:成年後見人は被後見人の利益を守る立場にあるため、被後見人の法定相続分を大きく下回るような遺産分割案を採用する場合、家庭裁判所から疑義を呈されることがあります。法定相続分を確保するのが基本線です。
このため、認知症の親が相続人にいる場合の遺産分割は、「家族にとって何が都合よいか」だけでなく、「本人の利益と整合するか」「家庭裁判所から見て不自然でないか」の両面で検討する必要があります。
弁護士に相談すべきケース
認知症の親が相続人にいる遺産分割は、手続きの選択・利益相反の判断・特別代理人の要否・後見人の長期コスト等、論点が多く、誤った進め方をすると後で取り返しがつかなくなります。次のような場合は、行動する前に弁護士に相談することを強くおすすめします。
- 親に認知症の診断があるが、遺産分割協議書に署名してもらってよいか迷う
- 後見人候補として家族を立てたいが、自分も相続人なので利益相反が心配
- 任意後見契約があるが、代理権目録に遺産分割が含まれているかわからない
- 遺産分割を先送りするか、後見人を立てるか判断がつかない
- 居住用不動産が遺産に含まれており、家庭裁判所の許可が必要かどうかわからない
- 後見人候補に親族と専門職のどちらが望ましいか相談したい
- すでに親が署名した遺産分割協議書があるが、有効か不安
成年後見の申立て自体は弁護士でなくても可能ですが、認知症の親が絡む遺産分割の全体設計——後見か任意後見か先送りか、利益相反対応、家庭裁判所許可、不動産登記・預金解約までの実務手配——には弁護士関与の余地が大きい場面です。最初のボタンを掛け違えると数年単位で時間とお金を失うリスクがあるため、早めの法律相談がいちばん安く済む選択になりがちです。
認知症の親がいる相続でお困りですか?
成年後見の選任・特別代理人・遺産分割協議書の作成など、まずはお気軽にご相談ください。
弁護士が丁寧にお答えします。
引用裁判例・参考条文・参考文献
- 永石一郎・鷹取信哉・下田久・夏苅一『〔改訂版〕ケース別 遺産分割協議書作成マニュアル』(新日本法規出版、2020年)p.23、p.104、p.107-108
- 片岡武・管野眞一『第4版 家庭裁判所における遺産分割・遺留分の実務』(日本加除出版、2021年)p.39、p.43
- 坂本龍治『ケース別 相続放棄の実務ポイント―目的に応じた検討と放棄前・放棄後の対応―』(新日本法規出版、2026年)p.190-191
- 最高裁判所第二小法廷 昭和42年4月18日判決(判例時報483号34頁)—— 利益相反行為の判定基準(外形的客観的観察)
- 最高裁判所第二小法廷 昭和53年2月24日判決(民集32巻1号98頁)—— 成年後見人・親権者と被後見人・未成年者の利益相反
- 民法第824条(財産の管理及び代表)
- 民法第826条(利益相反行為・特別代理人)
- 民法第858条(成年被後見人の意思の尊重等)
- 民法第859条(財産の管理及び代表)
- 民法第859条の3(居住用不動産の処分についての許可)
- 民法第860条(利益相反行為・成年後見の場合の準用)
